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ライヒ「4台のオルガン」、加藤訓子一人全役が示すミニマル・ミュージックの成立過程

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase24)ライヒ「4台のオルガン」、加藤訓子一人全役が示すミニマル・ミュージックの成立過程

最小限の音素材を反復し、位相を変移させるミニマル・ミュージックが誕生して60年以上が経つ。先駆者の一人、米国の作曲家スティーヴ・ライヒは現在87歳。ミニマル・ミュージックの意義は、音楽の成立過程(プロセス)を聴かせることだ。4月26日リリースのパーカッショニスト加藤訓子のCD「クニコ・プレイズ・ライヒ II」では、加藤が一人全役で「4台のオルガン」(1970年)をはじめライヒの4曲を多重録音している。ライヒ作品のポップなライブ感、ストイックな精神性、クラシカルな再現芸術性が浮き彫りになる。

マラカスの一定リズムに単一コード

CDの冒頭に収められた16分32秒の「4台のオルガン」は一度聴いたら忘れられない。ホ長調(E)の属11和音(E11)という一つのコードとマラカスの一定リズムのみで成り立つ音楽。E11のコードを構成する音(E、G♯、B、D、F♯、A)は組み合わせを変えて重なったり、音価が拡大したりするが、基本の音型(E―B―A)を執拗に繰り返すので、耳にこびりついて忘れられるはずがない。

加藤訓子「クニコ・プレイズ・ライヒⅡ」(2024年、リン・レコーズ)

加藤訓子「クニコ・プレイズ・ライヒⅡ」(2024年、リン・レコーズ)

楽譜の調号はイ長調(A)を示しているが、4台のオルガンが鳴らすのはドミナントのE11コードなので、いつまでもトニックのイ長調に解決しない。イ長調の音階で第3音のC♯を除いた6つの音で構成されるのがE11。しかもE11は2つのコード(EとD)の合体でもある。1コードの単純な曲と思いきや、音の引き延ばしによってパターンが様々に変化し繰り返されるため、飽きることのない音のドラマとなる。いよいよトニックへと解決しようとする長大なエンディング(終結部)を、緊迫感を持って延々と聴き続ける感覚だ。

加藤は4台の電子オルガンとマラカスの5人分の楽器をすべて一人で演奏し多重録音した。まずマラカスが8分音符の一定のリズムを刻み始める。8ビートのようだが、マラカスは上下に一振りして音が2回出るため、実際には16分音符のリズムが発せられているようにも聴こえる。オルガンのコード弾きが入るタイミングで8分の11拍子であることがはっきりする。しかし途中で1小節内の8分音符が増えるなど一筋縄にはいかない。それでも時計の秒針のように加藤のマラカスは克明に時を刻み、曲全体を指揮していく。

解決しそうで属11和音のまま

パーカッショニストながら加藤のオルガン4台分の演奏も明晰だ。「4台のオルガン」には、ライヒの伝家の宝刀である典型的なフェイズ・シフティング(位相の変移)の技法は登場しない。同じ音型のパターンが徐々に速度を変えながらずれていき、いつしか全く新しいパターンが生成されるのがフェイズ・シフティング。「4台のオルガン」ではむしろオーグメンテーション(拡大)の技法が前面に出る。

具体的にはE11のコードやE―B―Aの音型の一部の音符を拡大したり、構成音を抜いたりしながら、クライマックスへと向かう雰囲気の変化を出す。こうしたオーグメンテーションによって単一コードの曲とは思えない多様な音響が実現する。A音が目立つ局面では、ついにイ長調への解決に至りそうになる。ライヒ自身と指揮者のマイケル・ティルソン・トーマスがオルガンで参加した1973年のニューヨーク初演では、ストラヴィンスキーの「春の祭典」初演時(1913年パリ)に匹敵するほど会場が騒然としたという。

加藤訓子「クニコ・プレイズ・ライヒ」(2011年、リン・レコーズ)

加藤訓子「クニコ・プレイズ・ライヒ」(2011年、リン・レコーズ)

加藤は高音質で有名な英スコットランドのリン・レコーズから CD を出す唯一の日本人アーティストで、同レーベルからのアルバムは今回が7作目。ライヒ作品集としては2011年の「クニコ・プレイズ・ライヒ」、18年の「ドラミング」に次いで3作目となる。3作ともすべて加藤のソロやその多重録音だ。大作「ドラミング」ではボンゴやマリンバからグロッケンシュピール、ピッコロまで12人分の演奏を一人で担当した。

余韻や倍音を重視するライヒ

今回も加藤はマラカスとオルガン、マリンバ、ヴィブラフォンを一人で担当し、「4台のオルガン」を含め全4曲を収めた。「生身のライブ演奏だからこそのライヒ作品の良さもあるが、楽譜に書かれているすべてを再生できていないという思いもあった。みんなとアンサンブルで採り上げてきた作品を一人でやり直したかった」と加藤は話す。

2曲目「ピアノ・フェイズ」(1967年)は加藤が編曲した2台のヴィブラフォン版。加藤がライヒに可否を問い合わせると「ヴィブラフォンでは音が短すぎる。ペダルを踏んでくれ」と指南されたという。ピアノも短い減衰音だが、ライヒが余韻や倍音によるハーモニーも重視していることが分かる。

「スティーヴ・ライヒ:ニューヨーク・カウンター・ポイント他」(1996年録音、ワーナー)

「スティーヴ・ライヒ:ニューヨーク・カウンター・ポイント他」(1996年録音、ワーナー)

3曲目「ナゴヤ・マリンバ」(1994年)は和風のフレーズが魅力的な2台マリンバのための作品。「日本の雅やかな雰囲気がキラキラと上がっていく」と加藤。パターン変化の面白さと旋律美を併せ持つ。4曲目「マレット・クァルテット」(2009年)はサンバ風のリズムに乗って、クールで美しい旋律が展開する。これらの曲を聴けば、ライヒがハーモニーと旋律を洗練させていった過程も聴き取れる。

一音入魂のストイックな精神性

ここで「4台のオルガン」を過去の録音と聴き比べる。1970年録音ではライヒ、フィリップ・グラス、アート・マーフィー、スティーヴ・チェンバースがオルガン、ジョン・ギブソンがマラカスを演奏している。マラカスは荒々しく鳴り、オルガンは挑戦的で、当時のドアーズやディープ・パープルなどのロックの音色を思わせる。

もう一つは米現代音楽演奏団体バング・オン・ア・キャンによる1996年録音。マラカスの音色が明快になり、オルガンは落ち着いた響きに聴こえる。これらに対し、加藤の新アルバムでは音の解像度が一段と上がり、マラカスはデジタル音のように正確に時を刻む。オルガンの響きも隈なく克明なので、オーグメンテーションの微妙な変化も聴きやすい。

「スティーヴ・ライヒ:アーリー・ワークス(1965-1972)」(1986、87年録音他、ワーナー)

「スティーヴ・ライヒ:アーリー・ワークス(1965-1972)」(1986、87年録音他、ワーナー)

デジタル技術が席巻する現代において、より正確な自動演奏は可能だろう。だが「4台のオルガン」が示すのは、生身の運動が催す感興だ。人間はデジタル楽器ではない。YMOの高橋幸宏、ジャパンのスティーヴ・ジャンセンらテクノやニューウェイヴのドラマーはデジタルビートのようにリズムの正確さを極めたが、そこには機械技術に挑む人間の魅力があった。ライヒの作品も演奏の精度が高まるにつれて人間的な魅力を増す。修行僧のように一音ごとに入魂するストイックな精神性の美学がそこにある。

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池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
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