Web音遊人(みゅーじん)

映画『It Came From Aquarius Records』

伝説の米レコード店“アクエリアス・レコーズ”の軌跡を辿るドキュメンタリー映画が完成

レコード店にはドラマがあった。素晴らしい音楽との出会い、個性的な店員、周囲の街並み。ストリーミング/サブスクリプション時代においては定額で古典から最新のヒットまでを浴びるほど聴くことが出来る一方、曲がり角の向こうに何かが待ち構えているスリルが失われたような寂しさを感じる。

ニール・ホーンビィの小説『ハイ・フィデリティ』(1995)と、それを原作とした映画(2000)・TVシリーズ(2020)、あるいはブレット・ミラノのエッセイ『ビニール・ジャンキーズ』(2003)ではそんなレコード店カルチャーが描かれているが、今となっては懐かしさをおぼえるものだ。

レコード店ドキュメンタリー映画の系譜

近年の“レコード店ドキュメンタリー映画”にはそんな去りし日々へのノスタルジア、そして哀しみが漂っている。 

『オール・シングス・マスト・パス』(2015)はタワーレコードの栄枯盛衰を描いた作品だ。1960年にアメリカで創業したタワーレコードは音楽を軸にビデオ/DVD、書籍などのカルチャー発信地として一世を風靡、ヴァージン・メガストアやHMVと共にメガストアの時代を支えたが、本国では2006年に廃業。現在日本で営業しているのは別法人。同作ではそんな軌跡を辿っている。

ニューヨークのブロードウェイにあったタワー旗艦店から横道に入ったところの“アザー・ミュージック”はインディーズやポスト・ロック、エレクトロニカなど、よりマニアックな品揃えで人気を博した。1995年にオープン、“オルタナティヴ=別選択肢”な時代の音楽カルチャーを担った彼らだが、2016年に閉店。その21年の歴史を捉えたのが『アザー・ミュージック』だ。若干スノッブな傾向があったことも事実で、店員がブルースやヘヴィ・メタルに対して否定的なことを言っているのが鼻についたりもするが、さりげなくモーターヘッド『1916』やコロシアムII『ウォーダンス』などが机の上にあったりして、顔がほころんでしまう。

そして2022年に完成、映画祭やコンペティションを経て2024年に配信が始まったのが『It Came From Aquarius Records』だ。この作品ではサンフランシスコの“アクエリアス・レコーズ”の物語が描かれている。

伝説の“アクエリアス・レコーズ”

“アクエリアス・レコーズ”は知る人ぞ知るレコード店だった。1970年の開店時には初代オーナーの趣味でクラシック中心の品揃えだったが、1975年にクリス・ナブが買収したことで、独自路線を歩むことになる。クラフトワーク、アモンデュールII 、ノイ!などのジャーマン・ロックを大プッシュ。そして“アクエリアス”にとって大きなターニングポイントとなったのが1977年、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!! Never Mind  The Bollocks』だった。イギリスでセンセーションを呼んでいた彼らのデビュー・アルバムの評判はアメリカにも届いており、アメリカ盤LPの発売日には300人が行列を成したという。ただその日の閉店間際に強盗が入り、売上金を奪われてしまうというオマケがついた。

それから“アクエリアス”はベイ・エリアのパンク・シーンで重要な位置を占めることになり、デッド・ケネディーズ、クルシフィックス、アヴェンジャーズらがインストア・ライヴを行っている。また、ツアーで当地を訪れるザ・ダムド、ラモーンズ、キャプテン・ビーフハート、エルヴィス・コステロ、レジデンツらが店内でスタッフと収まるスチル写真も作品中で見ることが出来る。

フィンランドの多彩なサウンドで知られるサークル、乱数放送を用いた実験的なザ・コネット・プロジェクトなど、“アクエリアス”はひとつのジャンルに囚われることなく独自の視点から作品をプッシュしていく。特に評判となったのがスタッフによるニュースレターだ。当初はコピー、後にメーリングリストでも配布されたテキストは絶妙なセレクションと的確な評価、ユーモラスな文体で支持を得ている。ボアダムズ、C.C.C.C.、Boris、メルツバウなど日本のアーティストもこのニュースレターでレビューされ、新しいファン層を獲得することになった。

ただ、インディペンデントのレコード店にとってネットの普及は大きな打撃で、“アクエリアス”は2016年に閉店することになる。2003年から共同オーナーとなったアンディ・コナーズは映画中でその苦渋の決断についても語っている。

本作の監督・プロデュース・編集を担当するケネス・トーマスはカリフォルニアで教鞭を執りながら本作を制作。かつては“ハイドラヘッド・レコーズ”(アイシスなど)、“ニューロット・レコーディングス”(ニューロシスなど)、“コンステレイション・レコーズ”(ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーなど)の3レーベルを題材としたドキュメンタリー映画『Blood, Sweat + Vinyl: DIY in the 21st Century』(2011)を制作するなど、ロック・カルチャーに通じた映像作家だ。『It Came From Aquarius Records』ではスチル写真やチラシ・ポスター、貴重な動画フッテージを用いて、“アクエリアス”の45年におよぶヒストリーを追っている。

アンディは数回日本を訪れ、筆者(山﨑)は一緒に西新宿のレコード店街を回り、ビールを飲む機会があった。残念ながら“アクエリアス”に行く機会はなかったものの、彼との会話から遠くサンフランシスコに想いを馳せることが出来た。そして今、『It Came From Aquarius Records』を通じて、我々はその豊潤な歴史をエクスペリエンスすることが出来る。

映画『It Came From Aquarius Records』


映画『It Came From Aquarius Records』予告編

■映画『It Came From Aquarius Records』

日本公開未定
監督ケネス・トーマス/2023年
詳細はこちら

山崎智之〔やまざき・ともゆき〕
1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検第1級、TOEIC 945点取得
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